今日までの世界を脱ぐのだ
RADWIMPS野田洋次郎のエッセイ『ラリルレ論』をやっと読み終わりました。
家族以外に、こんなに信頼してて大好きなひとって他に現れないんじゃないかと怖くなるほどに、こころの支えです。そんなRADWIMPS(洋次郎さん)と出会ったのは、わたしが高校1年生のとき。友達の影響でONE OK ROCKを好きになり、ロックバンドにはまったのがきっかけでした。
その頃のわたしは、入学してすぐに入部した合唱部をやめ、勉強にもついていけず、友達にもこころがひらけず。そして、そんな自分自身を許せず。なかなかに苦しんでいました。(今でも自分を許せているのかはわからないのですが)
そのとききいた曲のなかで一番印象に残っている曲は「カイコ」。初めて、音楽で泣きました。
自分の生きづらさやもやもやを、代わりに言葉にしてくれたような心地よさ。仲間がたくさんいるんだという安心感。すごく救われた気持ちになったのを覚えています。
高校1年生の頃からわたしを支えてくれているRADWIMPS。そのボーカル&ギターであり、すべての楽曲の作詞作曲を担当する、洋次郎さんがつづった日記形式のエッセイが『ラリルレ論』です。やっと読み終わったので、感想というか愛(きもい)を、恐れ多いのですが残しておこうかと思います。
僕の感情はなんだろう。感情ってなんだろう。
気持ちとはなんのために浮き沈むのだろう。なにかを保つために、大丈夫なようにするために、揺れ動くのかな。信号なのか、反射なのか、叫びなのか、薬なのか。僕にはわからない。
僕は感情の波が激しい。らしい。心臓の様子がおかしくなりやすい。
ある人は躁鬱だと言う。ある人はヒステリックだと言う。ある人はセンチメタルで、ある人は狂ってると言う。どれも正解なんだろうけど、そのどれもがしっくりこない。29歳、全然答えは見えない。
『ラリルレ論』2月21日 25:33
わたしも感情の波が激しい方で、上がったり下がったりの繰り返し。(ちなみに今はここ3か月くらいで一番落ち込んでいて、本や映画や音楽や自然に逃げ込んでいます)
元気なときに無理するからでしょ、自分のことは自分が一番わかるはずでしょ、って怒られるけど、29歳の洋次郎さんが分からないなら、わたしもわかんないって放り投げてもいいやって。責めちゃうけど、仕方ないかって。気持ちが楽になるのでした。
「合わないとこは合わないんだよ。許すしかないんだよ」
こんな言葉をかけられた。ほんとそうだ。
これが分かっていれば、きっと大丈夫なのに。
僕らはどれだけ相手に、期待して生きているんだろう。誰かにわかってほしいんだろう。人は皆違うからと言いながら、言い争いや喧嘩を繰り返す。人はみんな違うから、せめて大切なあなたにはわかってもらいたい。僕が大事にするものを理解してもらいたい。自分、自分。そんなエゴがいるんだろう。
でも僕らは期待せずにはいられない。人間だから。わかってもらえたときの喜びを知っているから。明日を生きなきゃいけないんだ。
明日を生きるのに必要なものは希望なんて言うと少し大げさだけど、それはほんのちょっとの期待なのかも。
『ラリルレ論』2月25日23:31
ある人との付き合い方がわかりませんって相談したところ、「諦めるのが正解かも」とアドバイスをもらったことがあります。それをきいたとき、すごく悲しくなったのを覚えています。
わたしが相手に求めすぎているというのは、自覚しています。でも、それを押し付けるのって、相手も自分もしんどいよなあ、ってそのアドバイスで気づきました。だからと言って、諦めてしまうのはやっぱり悲しいなあ。
きっとわたしは、これからも期待するのをやめることはできません。ただ、分かり合えることは奇跡なんだって、きちんとこころにとめているのとそうでないのとでは、全然違ってくるんだろうなあ、と気づいたのでした。
僕は優しさに憧れる。普通の人はどれくらい優しさに頓着をもって生きているかわからないのだけど、僕は結構優しさを見る、考える。僕はずっと優しくない人間だった。それが自分で分かっていて、嫌いだった。
小さいころから兄貴とおかずを分けるとき、おもちゃで遊ぶとき、自慢話をするとき、なにかにつけて優しくなかった。それが普通の子供だと言えばそうなのかもしれないけど。兄はよく俺に譲ってくれたし、あまりにわがままなときは怒られた。いつからだろう、そんな周りの人たちの優しさに憧れを持ったのは。
この世界は優しい人がいるから回っている。僕は本気でそう思っているところがある。そりゃもっと経済や政治の仕組みとか、食糧とかそういう話もあるのだけど、大前提にやさしさでできていると思う。大きい方のおかずが欲しいと言ったとき「いいよ」と言ってくれる人がいないとこの世界は維持できない。基本的に人は独善的だ。だから奇跡みたいなことなの。
『ラリルレ論』3月12日22:34
やさしさって何ですか?という問い。だっぴではわりとよく出会う問いなので、いろんな考え方にも出会ってきたけど、一番しっくりきた気がしました。「世界は優しい人でできている」って、そう考えるだけで、なんだか救われるような気がします。
僕が短所の欄に書いていたこと、それを笑いながら平気で長所の欄に書き換えてくれる人がきっといる。「違う」ということが「Gift」なんだと、言ってくれる人が。僕もそうやって助けられた。
『ラリルレ論』3月14日20:22
わたしがもう一人いたら、きっとすごく仲が悪い。自分を自分で許してあげれない。もしかしたら、わたしの最愛のひと(が現れるかは別として)は、わたしともう一人のわたしの手をとって、「はい、仲良くね」って言ってくれるひとなのかもしれない。わたしも同じように、その人の中の手と手をつないであげれるような人でありたい。そんなことを思うのでした。
洋次郎さんの言葉に溺れていたら、誰かと一緒に泳ぎたくなってしまって、なんだかすごい長くなってしまいました。もっときいてほしい言葉がたくさんなのですが、書く前に決めてた1時間がやってきたので、このへんで。
12日にRADWIMPSの新しいアルバムが出るので、また溺れようかと思います。それまで生きるぞ。